私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

虚しい 悲しい

仕事中感じていること。

 

 

虚しい。

悲しい。

 

みんなと笑顔で

衝突もなく、無難に過ごせているように見える。

 

つかず、離れずを保っている。

 

美味しいものや旅行の話に合わせる。

 

 

虚しい。

悲しい。

情けない。

どうしようもない。

 

最初の数ヶ月は、

覚えることに必死ということにして、

わたしは必要とされているという思考を掴み、自己概念を保っていた。

 

 

最近、

これできますか?とか

知っていますか?と職場で聞かれることが増え、

 

わたしにはわかりません。

わたしにはできません。

 

どうしよう。

ほんとわからない。

 

職場で仕事については、

それだけしか

言っていないように感じる。

 

 

機械を動かす責任者的な立場の

オペレーションを担当するかもしれないから

覚えよう。と思っていたのだけど、

 

今は、

もぬけの殻のようになっている。

 

無理だ。

 

 

本当に何も分からなくなってしまった。

 

 

そして、

間違えました。

ごめんなさい。

教えてください。というと

 

今までと変わらず、

職場のみんなは

誰一人咎めずに、助けてくれる。

 

 

早い機械の方は、

 

化粧箱が詰まると

「〇〇さん、助けてー!」と叫んでいる。

 

できると思って、

ちょっと仕上げの場を離れてしまったり、

 

自分のミスで

カルトンを潰してしまうと、

瞬く間に詰まってしまうので、

 

まだなんとかなると思っている部分があるが、

助けて!と大声を出す。

 

 

みんな助けてくれるんだ。

 

わたしが

謝りながら助けられている時、

 

助けてくれないだろう、と思っていた人が

すっと隣に助けに入ってくれていた。

 

 

ありがたい。

 

 

 

情けない。

 

何もできない。

 

 

できてる。と思っていたかった。

 

 

自分以外の人だけで

回っている。

 

わたしなど、いない。

 

 

目の前の映像が展開され、

たくさんの人が入れ替わりあらわれるように見えるけれど、

 

みなさん、さようなら、と浮かぶ。

 

 

仕事していなくても

常に虚しさだけを感じている。

 

 

仕事をしている、

仕事ができているという自己概念を

安全地帯にしていた。

 

 

 

 

献身って口先だけは立派なんです。

 

本当の意味では何も分かっていません。

 

ごめんなさい。

 

神様、わたしには何もできません。

 

 

献身がわかりません。

 

 

あなたの鉛筆として

道具として使ってくださいと、

 

意欲を差し出すけれども、

 

わたしの為にね。

 

そう言っていたんです。

 

 

助けてください。

 

 

神様

どうか導いてください。