これからやっていくこと
合宿の帰りの車中での
のりこ聖霊の話に加えて、これからやっていくこと。
「わたしが思っているようなわたしは存在していない」と分かっていながらも、
I AMにとどまり続けながら、
3.5分裂の存在論的罪悪感、無価値感を抑圧せずに開放していくことを自分自身に赦し、
そこに長くとどまり続けるのではなく、
ただ捧げるだけで終わるのではなく、
3.5→3→2→2.5→1分裂と遡り、
正しさよりも幸せであることを望み、
私が間違っていたことを受け入れる。
神に全託する。
わたしにはどうにもできないので
わたしを神に捧げます。
映画沈黙のラストのロドリゴのように。
神を信頼できている
神を信仰するいい感じで
わたしが存在できていると信じていたかった。
神を攻撃してしまった。
だから、攻撃してくるだろうと信じて疑っている。
「絶対裏切るだろう」
「攻撃されるに違いない」
疑っているわたしに同一化しないところから
そのわたしは存在しているのか?見ていく。
のりこ聖霊のブログにあったように、
聖霊が
ここにいますと言っているI AMにとどまり
動かないことが、
一番自然なことだったんだということに
気づかせてもらった。
ありがとうございます。