夜明けの祈り
前から気になっていた、
「夜明けの祈り」のDVDを購入し、観てみた。
なんとかオンラインで見れないものか、と言って
3000円程度のお金を出すのをためらっていた。
この劇場を特別にしておきたかったし、
自分の解放を赦したくないという理由だったと思う。
ポーランドの修道女がソ連兵に強姦され、数名が妊娠させられるが、
修道院長が不名誉と思っていて、隠そうとし
誰にも助けを求めようとしない。
修道女、戦争、強姦、妊娠、自らの危険を冒して助けようとする女医。
格好の自己概念B対C劇場だと自我は言っていた。
祈りながら、一日で3回見た。
原題は、フランス語で
~Les Innocentes~
Innocenceなんだ、、と始めから聖霊と一緒に見ること、
目的を確認された感じがした。
女医が、助けようとしても、修道女の大半は心を開いてくれない。
帰り道自らも、兵隊に強姦されそうな目に遭いながら、
修道院の方へ帰れ!と言われてしまい、
結局、修道女たちを助けることになる。
神の小屋のマックよりも、
どちらかというと、こちらのケースの方が自分にあり得そうだと思った。
いつ兵隊がやってきて同じように、
強姦されるか分からない、
殺されるかもしれない危険な目に遭いながら、
相手が心も体も開いてくれない中、
救いの手を差し伸べ続ける。
女医は、
神という言葉は一言も言わないけど、
彼女たちを助けることを受け入れ、
やるべきことをやった。
神を信頼し、従っていた。
自分はどうだろう?
助ける相手はいないから、
自分を助けることをいまだにためらっていると思った。
あと、
目に見える形だけにとらわれている。
神に仕える者とか、
神聖なもの、というようなイメージの修道女とか、であっても、
この世界の役柄はすべて
罪悪感の投影劇場のコマにすぎなかったんだ。
一つの例外もないんだ。
例外にしていた。
それを今回、客観的に見れたと思う。
あと、強姦させられる女性と暴力を振るう男性という関係。
被害者でありたいから、
とても入り込んでしまう。
男性を、自己概念Aの神と私、の
神にあてがっていたのがはっきり見えた。
最後は、もうどの役柄も一緒だった。
どの自分も泣き叫んでいる。
自分自身の叫びを聞いて、
助けてあげよう。
解放することを赦していこう。
と思った。
聖霊、わたしにはわかりません。
聖霊、どうか導いてください。
神様ありがとうございます。