私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

どこまでも傲慢です

今日、旦那さん聖霊が留守中に

映画「沈黙」を観ていた。

 

 

ちょうど、

ロドリゴが追い詰められてきたところで、

 

旦那さん聖霊から電話がかかってきた。

 

 

「これから30分後くらいに

一旦帰るから、

それから一緒に出掛けよう。」

 

と言われた。

 

 

嫌だな。

映画、最後まで観たいという思考があがる。

 

こっちを優先したいのに。。

 

 

俺様の都合の方が大切だ。

 

 

 

 

まさに、まさに、

 

 

ロドリゴと全く同じ心境。

 

 

負けを認めたくない、

 

「転び」たくない。。!!

 

 

心の中に浮かぶ思考を見つめていた。

 

 

 

ああ、

 

今まさに、

 

これそのものが現れている。

 

 

 

神に対して、

 

負けたくない思い。

 

  

 

映画を見続けたいのに

 

なんでそんな都合が悪いこと言ってくるんだといって、

 

怒りをぶつけたくなる思い。

 

 

ロドリゴに沿って

 

映画まったくそのままに

 

心に現れる。

 

 

 

ああ、

 

無理だ。

 

 

正しさにしがみつくのを

あきらめよう。

 

 

献身、

する気が全くありませんでした。

 

 

 

 

そして、

 

ちょうど

そのままに

 

ロドリゴが棄教し、

 

崩れ去ったところで

 

 

旦那さん聖霊が帰宅。

 

 

 

一緒に出掛けることにした。

 

 

降参。

 

 

棄教後、

何を言われても放心していたロドリゴ

同じに

 

安堵していた。

 

 

 

旦那さん聖霊

用事を済ます間、

 

コインパーキングの車中で待っていた。

 

 

 

すると、

老夫婦の車がやってきた。

 

おじいさん聖霊が運転していて、

 

助手席におばあさん聖霊が座っている。

 

 

二人とも

高齢だ。

 

 

おじいさん聖霊

 

おばあさん聖霊のために、

 

車を止めてトランクから

車椅子を出した。

 

助手席に座っていた

おばあさん聖霊は、

 

車から車いすに移ろうとする。

 

 

ちょうど目の前で

さっきの「沈黙」のDVDのように映像が展開されていた。

 

 

駐車場の入口は少し坂になっており、

 

車いすにうつるのは

ドアが閉まってくるので

少し大変そうだった。

 

あ、

 

助けなきゃ。

 

と思った。

 

 

思ったのに、

あ、、と

ただ眺めていた。

 

車いすに座ったおばあさん聖霊は、

 

道が平らなところに止められている。

 

 

誰か、

傍にいたほうが、

車いすが動いてしまったとき

 

危なくないし、

 

通りを通る人から

守れる。

 

なのに、

 

 

眺めていた。

 

 

そして、そうこうしているうちに

おじいさん聖霊

車いすを押して横断歩道を渡り、

 

どこかに行ってしまった。

 

 

。。。

 

 

あれだけ、

 

 

行動。とか

従う。とか

いっておきながら、

 

 

あ、、、といって

見過ごしてしまった。

 

 

すぐ車から降りて

助ければよかった。

 

そのような思考が沸きあがり、

 

後悔する。

 

 

ああ、キチジローと同じだ。。

 

 

 

しばらくすると、

 

二人が戻ってきた。

 

 

おじいさん聖霊が車を少し前に出した。

 

 

そこで、

すぐに車から降り、

 

おばあさん聖霊の元に駆け寄った。

 

 

「先ほどは手伝わずにすみませんでした。

 

今日は寒いですね。」

 

と声をかけながら、

 

 

車いすに手をかけた。

 

 

すると、

 

おばあさん聖霊が、

 

「ありがとうございますー。」と

 

まるで

太陽のように

 

天使のように

 

笑って答えた。

 

 

 

あまりにまぶしくて、

 

 

顔を直接見れなかった。。

 

 

おじいさん聖霊

「ありがとうございますー。」と

 

ものすごい笑顔だった。

 

 

ますます、

 

顔を上げられない。。

 

 

 

車のドアを開け、

 

椅子を近づけて、

 

おばあさん聖霊が助手席に座るまで

手を添えながら見守る。

 

 

「シートベルトしましょうか?」と

ベルトをするのを手伝う。

 

 

座ったのを確認して、

ドアを閉める。

 

またしても

満面の笑みで

二人とも

 

「ありがとうございますー」とおっしゃった。。

 

 

 

二人の車が車道に出たとき、

 

助手席のおばあさん聖霊が、

 

小柄だったけれども、、

 

 

二人とも

笑顔で

こちらに手を思いっきり振ってくださっていた!

 

 

 

こちらも

笑顔で

思いっきり答えて手を振った。

 

 

「有難うございます」と。

 

 

 

車が見えなくなった直後、

 

 

旦那さん聖霊が用事から戻ってきた。

 

 

 

しばらくして、

思った。

 

 

「助けたい」と思って、

 

行動に移した。

 

ありがとうございます。と

お二人はおっしゃった。

 

 

 

よかった行動できて。。と

 

 

自分だけに

意識が向いていた。

 

 

わたし、の

手柄にしていた。。

 

 

俺がやってやった。

 

 

これをしたから

責められないだろう。ふう。

 

 

罪から逃れられる。

 

罪があるのはあっちだった。

 

 

これで

こっちは無垢だ。

と。

 

 

 

 

 

しばらくして気づいた。

 

 

わたし、ができたことは

何もなかったことに。。

 

 

 

 

車を運転していたのも、

 

車いすに移ったのも、

 

すべて

 

おじいさん聖霊

おばあさん聖霊

やっていたじゃないか。。!

 

 

神様が、

なさっていた。

 

 

 

何一つ、

 

自分でやれてなかった。

 

 

 

それなのに、

 

それを、

 

おれがやってやった、くらいに思っていたのだ。

 

 

 

この方たちには

助けが絶対必要だ。

 

弱い人たちだ。

 

だから、

助けてやらなければ。と。

 

 

 

しかし

間違えていました。

 

 

 

ああ、

 

 

お二人

とても、まぶしかった。

 

 

 

感謝に満ちていて、

 

慈愛・慈悲そのものだった。。

 

 

後になってから気づいた。

 

 

 

わたしが

 

与えられていたことに。

 

 

惨敗でした。

 

 

相手に、わたし、が必要なのではない。

 

 

何もわからなくなった

わたし、に

 

あなたの光が必要だったのです。

 

 

 

あなたの光を必要としていたのは

わたしでした。

 

 

 

なんと間違っていたことだろう。

 

 

 

なんと有難いことだろう!

 

 

 

ありがとうございます。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

聖霊

神様の完璧なお導きをいただいていることに

感謝します。

 

 

 

献身の意味が

 

全くわかっていません。。

 

 

 

 

このことを

ブログに書くことも、

 

 

わたし、がやったんだと

横領しています。

 

 

 

何度も見なおしては、

 

 

まるで勲章のように

 

 

おれがやってやったんだ

すごいだろと

横領しています。

 

 

すべて

神様がなさっていただいていることを

 

 

 

無かったことにして

 

すりかえて、

 

 

全部

わたしがやった。ということにしています。

 

 

 

 ブログを読む人のためじゃない。

 

 

いると思っていた

 

なしとげたと思っていた

 

わたし、が

 

 

真に気づかせていただくために

 

 

そのわたしがいなかったと

受け入れさせていただくために

 

 

神様に

書かせていただいていただけでした。

 

 

 

 

書く内容も、

 

 

気づきも

 

 

 

すべて与えられたものでした。

 

 

  

 

有難うございます。

 

 

すべてを

あなた様からの

恩寵として受けとめられますように。

 

 

 

あなたなしには生きていけません。

 

わたしは何もわかっていません。

 

何もみえていません。

 

 

完全に間違っていたことを望みます。

 

 

 

神様、有難うございます。