私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

お金

昨日、母からお金を貸してほしいという申し出があった。

 

母は、年金暮らしをしており、

いつもお金が足りなくなると、父に相談せず、まず私に言ってくる。

 

母は、父からお金の管理ができなかったのはお前のせいだと言われるのを、

とても恐れている。

 

父と母が暮らしているマンションの購入の話を持ち込んだのが、母だったため、

わたしがマンション買うなんて言わなければ、

今こんな苦労しなくても済んだのにといって、自分を責め続けている。

 

始めは、五井先生やイエスの話、先日送ったCDの話、

五井先生の人柄の話を、わたしの旦那さんが座っている隣で話をする。

 

母と私が電話するときはいつも、

二階に上がって、旦那さんの耳に入らないようにしていた。

 

旦那さんは、ここで話せば?と言ってくれるのだが、

いいよ、二階にいくから。と言って、いつも逃げていた。

お金の話しや、神様の話は

聞かれたくなかったし、隠れていたかった。

 

そうか、私がうしろめたさを感じていたんだと思い、

今日は、彼の隣で話すことにした。

彼が、イエス様で聞いてくれているようだった。

 

神様の話や、五井先生のお祈りの話、

母が子供のころ、イエスの映画をなぜかよく見て、画面から光があふれたのを見た話し、

友達との縁で教会にいって、キリスト教のお祈りを今も覚えている話。

聖霊のことも知っていた。

母は、イエス様やマリア様について興味がとてもあるようなので、その話。

 

最後に、

お願いがあるんだけど、と言い始めた。

 

ああ、お金貸して。だな。と思った。

 

「悪いね。お金貸してほしいんだけど」

 

。。。

 

ここで、一瞬のうちに、赦せなかった。

 

またか。

 

どうして、父にまず相談しないんだろう。

 

「父ちゃんに言うと、お前の管理が悪いからだ!と怒られるし」と言う。

 

 

私のお金に関する想いは、以前からかなりある。

 

・私が貸してやったんだ。

・私は管理できている。あなたはできていないから、管理してやらなければならない。

・面倒みてやらないといけない。

・手持ちが減るじゃないか!

・大切なお金を奪われた

・あなたがだらしないせいで、傷つけられた 

・あいつのせいで、わたしはいつも嫌な想いをさせられて赦せない

・あいつはできないやつだ

・わたしはやってやったんだ!すごいだろ

・管理できないやつはだめだ。下の下だ。

・お金のことになると、とたんに、こそこそしだす。

 母は父、わたしは旦那さんの影に隠れてこそこそ、秘密裏に何事もなかったように

 するために、女どおしだけで、または女ひとりだけで解決しようとする。

 なぜなら、男は全然家計に関してダメだからだ、まったく頼りにならない。

 もしくは、男は怒ってくるし、こっちが責められるのから、怖い。

 悪いのはいつもあいつなのに、なんで怒られるんだ。

 でもめんどくさい、怖いからこっそり処理しておこう。。かっこ悪いし。

・わたしの楽しみの為には、あなたの収入では全然足りません。

 わたしは不満です。

 

 

結局、これだ↓。

 「わたし」があいつの面倒みてやってんだよ!

 あいつは私なしでは生きていけないんだ!

 あなたはわたしを満たすことはできません!

 

 

そして、その「あいつ」とは

旦那さんというわたし、神様のことだった。

 

彼を、母を、お金面でなんとかしなくては、、

罪を感じているから、そう感じてきた。

 

しかし、そのなんとかしないといけない相手は誰だろうか?

 

母も、旦那さんも、

誰に養われているのだろうか?

 

なんとかしなくては、と思うのは傲慢なのではないだろうか?

 

わたしの想念しか見ていないのだから、

わたしは、何によって養われているのだろうか?

 

お金によってだろうか?

 

わたしがお金を知る前から、生きているのはなぜだろうか?

 

両親の愛によって?

その両親は誰に生かされているのか。

 

お金によって、心臓は動いていない。。

 

 

そうだ。

 

神様の愛の御心によって、御心に生かされているんだ。。

 

 

 

旦那さんと二人で撮った写真を見ていた。

 

最初、私は、「わたし」の顔ばかり眺めていた。

 

しかし、

旦那さんなしには生きていけない、、と思うようになってから、

隣の旦那さんの顔を見ていると、とても穏やかで安らぐことがわかった。

 

七福神のえびす様みたい。。ああ、本当に本当に神様だ。有難い。

 あなたは私に与えてくださる。」

 

確かに、

今わたしは、この家に住まわせてもらって、ご飯も食べさせてもらっている。

 

風雨をしのいでもらい、安らぎの時間をもらって、

夜は安心して眠ることができる。

赦しの時間をいただいている。。

 

 

ああ、神様にすべてを与えられているんだな。。

 

 

パートをするのも、最初は今ほど旦那さんの給料が良くなかったので、

生活費補てんのためだったけど、

 

フラをやったり、

大部分は自分の楽しみの為の分を確保するのに必死だったからだ。

 

 

不安だったのだ。

 

自分の貯金という武器がなくなることが。

 

自分が丸腰になることが。

 

完全に手足をもがれることが。

 

そのように思っていた。

 

それが自由でいるということなのだと分かるようになったけれど。。

 

 

「あなたなしには生きていけない。。」

 

これにお金という例外をもたしていた。

 

まだまだ例外があると思うけど、

お金は特に顕著だった。

 

 

 

母に言う。

「いくらなん?」

 

「8万円。悪い〜。」

本当に罪の意識でつらそうな声だ。

 

結局、定期を解約し、振り込む。

後で返すから、と言われた。

 

これで、わたしの貯金はほぼ0になった。

 

笑う。

 

わたしは今のところ、パートで毎月わずかな収入があるが、

それでも、無くなった感は否めない。

 

しかし、危うく母のせいにしてしまうところだが、

自分で結局無駄遣いしてきた。

 

無くなった、のではない。

自分で、そうしてきたのだ。

  

 

旦那さんなしには、生きていけない。

 

本当に、生きていけない。

 

今ここで、つまみだされたら、

生きていけないなあ。。

 

へそくりもないから。

 

 

ちょっと前に、「順ちゃんは一人で生きていけるんじゃない?」

そう旦那さんに言われた。

 

そうできると思っていた、私の信念だ。

 

傲慢だったな。。

 

 

なんだか、心がお清めの後のようにすっきりしている。

 

 

そうだ。

 

わたしは、本当に彼なしには生きていけないのだ。

 

 

お勤めしていただいて、本当に有難うございます。

 

あなたをいたわり、癒しを与え、大切にします。

 

 

ちょうど、電話でイエス様やキリスト教に興味がありそうだった母に

こないだ買った「神のいつくしみへの礼拝」の冊子、

ご絵のポストカードやイエス様のカードを送ってあげた。

 

その時、

アビラの聖テレジアさんの「神のみにて足りる」のカードが出てきた。

 

 

<神のみにて足りる>

 

何ものにも心乱されず

 

何をも恐れるな

 

すべては過ぎ去り

 

神のみ変わらず

 

耐え忍ぶとき

 

すべてをかちえる

 

神をもつ者には

 

欠けるものはない

 

神のみにて足りる

 

 

ああ本当に有難い。。。

 今、まさに私に必要なお言葉でした。

テレジア様有難うございます。

 

「わたし」という傲慢さが

どうか完全に打ち砕かれますように。

 

神様、有難うございます。