私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

私がやります

「私がやります」

 

そうか!

よーし、分かった!

 

そう言うなら、あなたにお任せします。

 

私がやりますとあなたはおっしゃったので、

すべてはあなたが用意なさるのですね。

なさるのですね。

 

ならば私はあなたを信頼し、

何が起ころうと起こらなくても、

あなたに開いて、すべて受け入れるだけです。

 

あなたに、

聖霊

神様にすべてをお任せいたします。

 

どうぞ御心のままに

愛であるあなたの御心のままに、なさしめてください。

 

私はあなたを邪魔しません。

あなたになさしめていただきたいです。

 

なぜなら、

あなたと私は一つで、私たちは愛だった、と思い出したいからです。

あなたの愛が、皆という私に延長されることだけを、望むからです。

 

 

全然足りないとか、まだまだだめだとか、

お前が言うな、という声は、神の意志じゃない。

 

神はそんなこと思っていないんだ。

私たちを肯定しかしないんだ。

 

神はこの幻想の私さえ、

全員を完全に愛することしかできないんだ。

 

だから、全然ダメだという声は、

神じゃない。

消えていく姿なんだ。

 

神様ありがとうございます。

 

神じゃないものは消えていくんだ。

 

愛以外の、

愛を阻む嫌なものは全て、神様が消してくださるのだ。

 

神様ありがとうございます。

 

こうやって、ずっと隠していたかった嫌な思いがあったことを、

私が私に秘密にしないで、

出させてあげようとしているんだね。

 

出させてあげることを、

わたしがわたしに赦そうとしているんだね。

赦しているんだね。

 

ありがとう。

ありがとう。

 

嫌だけど、これは消えていくために、

過去のものが神様に消していただくために出てきているのだな。

 

出てきたからには、

神様が必ず消してくださるのだな。

 

だから、

神様にお任せして消していただければいいのだな。

 

神様がなさるので、

いつどこでなのか、私にはわからないけれども、

必ず消していただけるのだ。

 

神様ありがとうございます。

 

いつかはわからないけれど、

聖霊が奇跡にひっくり返してくれるんだ。

 

それを何度か見てきたな。

 

聖霊ありがとうございます。

神様ありがとうございます。

 

愛深い私でありますように。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように。

私たちの天命が全うされますように。

守護霊様ありがとうございます。

守護神様ありがとうございます。

 

心のままに、なさしめたまえ。

私たちの天命が全うされますように。

 

聖霊に従う意欲を持ってくれて、ありがとう。

よくやってるね。

 

1秒後、その意欲を捨て去ったとしても、

今、私はそう意志しているなら、

その私を、今歓迎しよう!

 

他の誰も私を認めなかったとしても、

 

私だけは私を認めて、抱きしめよう。

素晴らしいね。

 

幸せでありたいと心から望み、

だから神に従いたいと意志している私を、

 

そう意志している私を

両手を広げて抱きしめて、迎え入れてあげよう!

慈しんで、優しくしよう。

 

ありがとう。

ありがとう、わたし!

 

神様ありがとうございます。

一緒に意志してくれる兄弟、ありがとうございます。

 

 

(五井先生の祈り言葉など色々。昨日心に浮かんだ思い)

 

 

 

2021.6.12勉強会文字起こし✨自分に愛を与える 自分に慈しみを与える 自分に優しく✨

2021.6.12 勉強会より

自分を慈しむ 自分に愛を与える 自分に優しく

 

「順子が隠してるのは愛なんじゃないの?」

 

3:30:30〜

愛を隠している。

自分を慈しまなくて、自分をジャッジして、自分はまだまだだって言おうとしている。

順子の悪い癖。

 

できる限り、自分は精一杯開いてるんだよ。

自分がどうにかこうにか、開く意欲が上がってきて、

そのような意欲を与えて下さっている聖霊のお陰様。

自分のことを認めないとこんがらがる。

 

(中略)

3:32:12〜

いいんじゃないかなと思います。←(と言われたのに、いいんですかね?と疑っている)

 

自分の手柄にするのではなく、

もっとありのままに、神を一番にして、神のもとで懸命に、

たまに前に出ちゃうけれども、

神のために従っていきたいというふうに歩もうしている自分を、もうちょっと認めてあげた方がいい。

 

自分の祈りと決断がなければ、そんなにそういう職場は目の前に現れない。

エスも用意できるけれども、順子がそれなりの祈りや意志決断しないと、現れない。

(いやでも、それは、、(自分で自分を認めたくない))

 

3:33:43〜

あと50%くらい増しで、自分を慈しんであげていい。

50%増しで慈しんであげていい。

 

努力しないとダメだ、

もっと私、努力しないとダメだとか、

要らないよ。もう。

 

それが居心地悪いんでしょうけど。。

 

自分を慈しむ。

自分が自分を認めないと、やっていけないよ。

それが順子にとって居心地悪い。

 

2018年の10月カースティンリトリートの時に、順子だけのために、10分だか20分時間が使われていて、みんなにハグされて、みんなに囲まれてハグされて、与えられるという経験は、居心地が悪い。

 

愛されている自分を受け入れるって。

 

何もする必要がないくらい、本当に神の子として価値がある自分を、ありのままに認めるというのが不得意で、あまりやりたくなくて、居心地が悪い。

愛を拒んで、愛を隠している状態。

 

それを少しずつ自分のことを認めて、慈しんで、神の子である自分を受け入れる。

 

のり子さんも得意じゃないけど、とてもじゃないけど、ある程度慈しんでおかないと、呼吸もできないくらいぶち当たってきた。

 

順子ももうちょっと、

自分に慈しみ、もっと優しく、愛を持って、認めてあげていいんだ。

 

それが職場にも反映される。

自分が自分を認めて慈しんでいるので、

その自分が自分を認めて慈しんでいるところから、人々と関わると通りが良くなる。

 

もっと努力しなくちゃ!もっとやらなきゃダメなんだ!というところからではなく、

最初に自分が自分を認めて、ああ、よくやってるわ、と言って。

自己正当化とか、自分の手柄にするとかではなく、

聖霊が与えてくれるのを、与えてくれているけれども、それに「はい、従います」と言わなければ、どうにもこうにも前に進めない。

「はい、従います。」「はい、従います。」と従う意欲を持って、従っている自分自身を慈しんで、認める。50%増しで。

 

2倍やれとは言わないから、50%増しで。

それが順子じゃないから。私だから。

 

順子という断片が、自分を慈しみ、自分を認め、自分に優しくあってくれているというのは、

私の断片がそうしてくれるのは、私(のり子さん)の中が通りが良くなる。

順子だから言っているんじゃない。私だから。言っている。

すると私(のり子さん)も助かる。みんなも助かる。全体も助かる。

 

3:37:52〜

深呼吸を忘れないで、もう一回、今、この瞬間、自分を慈しみ、慈悲を与えてあげると助かる。

順子が順子という断片に対して、

いや、もっと頑張らなきゃ、まだまだなんだ私は。と言って考えて、信じている時、私(のり子さん)も窮屈な感じ。苦しい感じ。

 

3:39:18〜

それが自分が自分を認め、自分が自分を慈しみ、自分が自分に優しくあるというのは、神を一番にしているのと同じ。

神は、最も神の子を慈しんでいる。

神がなさっている仕事を邪魔しない。

神がなさるように神の仕事の延長を、神の子もする。

夢を見ている神の子という断片が、
神と同じように、自分を慈しみ、自分に愛を与え、自分に優しく大切に扱う。

それこそ神を一番にしている

神のなさるままに、神と同じように神の意志の延長している状態。

 

神が神の子を愛していないわけがない。

神が神の子を慈しまない訳がない。

神は愛なんだから。

神が神の子の自由や幸せを望まない訳がない。

 

神が望むままに、その神が望むことを自分に与える。

それがその心の働き。

神の意志が、そのまま拡大・延長されるままにその働きをするというのが、心の働き。

私たちの役割。

神がなさっていることを、そのまま歪めないで、神がなさっているままにそのまま延長する。

神が愛を与えている。神が慈悲を与えている。神が自由を与えている。

神が平安、幸せを望んでいるのだったら、

神が望むことを私自身にも与え、
兄弟にも与える覚悟。

 

まだまだなんだ。もっと努力しなきゃ。もっとやらなきゃ。というのは、どっちかというと、神を邪魔している可能性がある。

 

私やってる!やってやった!よしよし!上手くやってる!というのは違うけれども、

私がやっているのではない。

神がなさっているままに、神の邪魔をしないで、

神の力、神の愛の延長を歪めないで、そのまま慈しみ、受け入れ、自由を与える。

神がなさっているままに邪魔しない。そのまま延長する。

自分のものにもしないし、自分の手柄にもしない。それを歪めない。

 

3:42:18〜

もっとやらなきゃ!もっと努力しなきゃ!というふうに歪めない。

神は私たちに努力を求めていない。

拒絶しないことを求めている。

 

邪魔さえやめてくれればいい!

愛を与えてくれている。

愛を与えてくれているから、愛をなるべく邪魔しないで、拒まないで、お断りしないで、

愛が、このまま延長されることを受け入れる。

 

分離を信じてきてしまった私たちにとっては、今までの習慣をやめていって、
自分を慈しむ、自分を認める。

 

神を一番にしてもう一回、今この瞬間、赦しを選ぼうとしている。

 

「ああ、本当によくやってるわ。」

 

ともすると中毒に陥る。

狂気に陥ってしまう。

それでも今、この瞬間、立ち止まって、神に対して耳を傾けようとしている。

 

ああ、よくやってるな。

慈しむ。励まし、優しくある。

Rest in Godさせてあげる。

 

肉体的には一生懸命働いている中でも、

自分が自分を迎え入れて、

神がなさるように自分が自分を迎え入れて、

除外せず、努力を強いず、ありのままに、神の子である自分を認めている時、

体は忙しく動いていても、自分が自分に与える作業をしている。

 

それを延長したくなる。

 

「あなたも愛ですよ。

あなたも神の子ですよ。」

 

そういうのもすごく大事。

 

できるよ!

順子もできるよ!

 

3:44:50〜

出し惜しみしない。

自分に対して、出し惜しみしない。

慈しむこと。

よくやってるね。励ますことを出し惜しみしない。

 

神の意志に叶っている。

神もそのように見ることを意志している。

 

自分が自分を慈しむ。

神が、慈しんでいるのだから。

「あなたは慈しむのでしょうけど、私は与えません、それを。」

神の意志を邪魔しようとしている。

あなたがなさっているように、私もそういたします。

 

3:34:51〜

神の望みだから。

外側に見える兄弟、同僚、マイティコンパニオン、介護が必要に見える人々も自分だし、

これ(自分の体)も投影されている。マトリックスの時にも言ったけど。

順子という体、個性に見える体、も投影されている。

兄弟と同じように。

夢見るものが、この(体)という私も、慈しんであげる。

これ(順子という器の体)は、心じゃないよ。

体や体と同一化しているアイデンティティーみたいなの、

この体を映し出している心も、慈しまれるべき。

なぜなら、神が慈しんでいるから。

 

神は順子という私に、罪を見てない。

幸せであってほしい、喜んでいてほしい、愛を受け取ってほしい。

受け取って欲しい。

どうか受け取ってくださいませんかね?

神の子の平安、喜び、幸せを望んでいる。

神は、それしかできない。

神は、神の子を慈しみ、愛すること以外、何もできない。

他に脳がない、神は。

神がしている、神が望んでいることを、

私たちのファンクションとしては、神がやるのと同じように、自分も自分に与える。

この体に見えるかのように見える私も、投影されたもので、

これも自分だし、この世界全体も自分。

自分の外側に見えるように見える人たちばかりに、慈しみ、赦す、だけでなく、

これ(順子の体)も投影されている。

ここにも、慈しみを与えられるべき。

もちろん、これ全体を含めた、これ全体を映し出している夢見る心も、慈しまれる必要がある。

夢見るものが夢見るものの自分を慈しむ。

目覚めましょう。自分を励ます。

これ(順子)を含めた、これ全体を映し出している心も慈しまれる必要がある。

夢見るものが夢見るもの、自分を慈しむ。

 

3:48:34〜

目覚めましょう。

励ます。

聖霊を選びましょう。

自我を選んでしまうところから、何回も何回も繰り返し、聖霊を選びましょう。

聖霊を選びましょう。

神を迎え入れましょう。

夢見るものが、夢見るもの自身を励まさないと、やれないよ。

神が、それを望んでいる。夢見るものに対して。

それは悪夢だよ。大丈夫ですよ。

早く目覚めなさい。

あなたが喜ぶのを待ってるよ。

幸せ以外、何も感じる必要がないんですよ。

それっぽっちの幸せや喜びじゃない。

もっともっと永遠の無限の幸せ、どうか受け取って欲しい。

神がそれを意志している。

それを邪魔しない。阻害しない。

 

私たちの心のやり方としては難しいことなんだけど、

自分を裁いてなんぼ、自分を追い詰めてなんぼ。だったのを、

神が神の子になさるように、

神の子も神の子を、夢見るものが夢見るものも、慈しむ。

 

それが、愛を阻まないという生き方にシフトしていくレッスン。

自分が自分を慈しむ。

この順子という断片に見えるような、この体も慈しむ。

それこそ慈しまないと。

 

3:50:58〜

まずは自分に酸素マスクをつけてください。(ムージが言っていた)

私はいいから!私はいいから!と言って、飛行機が急降下している時に、酸欠になる。

私はいいから!と言って、子供たちなど周りの人たちばかりに酸素与えていたら、酸素の付け方がわからない人たちの面倒ばかりを先に見ていたら、自分が気を失う。

まず最初に、あなたが全員を救うことができる状態に、落ち着かなきゃならない。

まず自分が自分に、酸素マスクをつける。

まず自分が自分に慈しみを与える。

自分が自分を認める。

酸素マスクをつけているので、冷静に判断ができる状態。

それから多少気を失っていても、隣の兄弟たちに酸素マスクをあてがって、ポンポンとしてあげれば、それで済む。

まず最初に、神を一番にすると決意した私が私に、慈しみを与える。

じゃないと、とてもじゃないけど、神を一番にして、ここから歩んでゴールまで辿り着くことはなかなか困難。

 

3:52:30〜

それを言っている。カースティンもフランシスも。

だから、Be gentle with yourselfと言っているんだよ。

どれだけカースティンもフランシスも、もちろん神を一番にしているけど、自分を除外していない。

葉山でリトリートするとき、どこで滞在するのが一番いいんだ、自分を除外してない。

 

自分をないがしろにできない。

自分にとってRest in Godできる場所、そういう空間。

そういうものを自分に与える。

まず、最初に自分が酸素マスクつけられている状態じゃないと、とてもじゃないけど兄弟を救えない。

とてもじゃないけど、兄弟に愛を延長できない。

 

3:54:28〜

本当に自分をないがしろにしていない。

 

それなりのファンクションをBe done throughとしてチューニングし続けるには、ある程度のRest in Godが深くできる場所じゃないと無理。たとえ彼女たちでも。

まず、自分に酸素マスクをつける。

 

3:55:37〜

自分が自分自身に対して、gentleじゃなければやっていけない。

自分が自分に対して、慈しんでいなければやっていけない。

大切に扱う。

 

それから祈ってチューニングして、何をしていこうか?何をやろうか?今度はどういう映画を見ようか?

それなりに深くRest in Godできる状態に、自分が自分に許可している。

さらにチューニングしやすい状態に運ばれていくことをOKしている。

 

私はこのぐらいでいいから、そんなのもったいないからとか、

豪華な暮らしをするとか、贅沢をするというのがプライオリティーではない。

 

いかに自分のチューニングのために、

いかに祈りの中に自分を没頭させるのにどうするべきかということを、

自分に優しく慈しみを与える。

自分に優しくというのは相当プライオリティーが高い。

彼女たちだけではない。

みんながそう。

 

今住んでいる家を変えるとか、もっと広いところに住んだ方がいいとか、もっと居心地のいい家に行くべきだ、ということを言っているのではない。

 

自分にとって、最も今、どんな、過ごし方をするのが優しく扱っているだろうか?

慈しみを与えているかどうか?

物理的に何も必要がないこともあるかもしれない。

ただただ自分を認める、自分を慈しむ。

 

日本人の傾向として、生真面目すぎる、自分に厳しすぎる。闇ばかり見つめすぎる、ということを指摘された。

ブラジルの人たちは、あまりにも奔放すぎるので、日本人と足して半分になったらちょうどいいね、と冗談言っていたり。

Rest in God  Be gentle について不得意だと思う。

私たちは不得意な傾向がある。

 

だから積極的にもうちょっと、今までより増して、慈しむ。

慈悲を与える。この自分に。

 

順子に慈しむのも、老人たちを慈しむのも、同じかそれ以上に。

 

ここ(順子)はもっと手厳しくさせて、努力させなきゃ、と考えようとしちゃう。

まず、ここ(順子)に酸素マスクをつけないと話にならない。

 

だからカースティンやフランシスは、

Rest in God Be gentle yourselfと口酸っぱくなるくらい言う。

 

「今日はRest in Godしたのか?どうやってやるのか?」

とのり子さんもカースティンやフランシスに突っ込まれた。うるさかった。

やろうとしない、知りたくない、理解したくないと思う部分があるから。

厳しくしてなんぼ、努力させてなんぼ、と思っている。

優しくしないでなんぼ。

甘やかさなくてなんぼって。

 

4:01:13〜

神はこの世界を愛している。慈しんでいる。という文がテキストにもある。

除外ができない。

自我と一緒に、分離した心が作り出した世界すら、神は幻想を認識しないけれども、

そういう例え話で説得させようとしている。

神は知覚がない。

幻想を見れない。

 

たとえ幻想だとしても、神は愛を延長する以外に何もできない。

そういう意味で神は裁いていませんよ、罪を見ていません、除外しませんよ。と教えたかった一節だと思う。

 

神は慈しみ、愛を与え、喜んで欲しい、幸せであって欲しい、

神そのものを、そのまま神の子が受け継いでくれることを望んでいる。

 

神の望みを、そのまま邪魔せず叶えるというのが、

私たちのファンクション。

 

自分自身を慈しむということと、

神を一番にするということとは何も矛盾してない。

 

(確かにここ(順子)だけ除外するわけない。神を一番にしたいから、そうしたい。)

そうしなければ嘘だよね。

わかったふりして、やってる気になってるだけ。

是非ともやらなきゃならない。

神の望みだから。

 

神はどの断片のことも、全く同じに完全に愛を与えること。

それしか神はできない。

完全な愛を同じように平等に、ただ延長させるということ以外、それ以外意志できない。

 

だから、何もしないというのが私たちにとっての最もな正解。

神が与える莫大な愛の延長を、邪魔しない

 

与えられているのだから与えられているままに、受け入れる。

私たちのファンクション。

最も重要なファンクション。

 

4:04:45〜

オンラインリトリートやカースティンやフランシスが葉山に来た時によく見かける。

こうやってない?

(胸の前で手をクロスしてあてる。ハグする。)

Davidもこうやってない?

(ユタに行った時、Davidが私(順子)の目の前で胸の前で手をクロスしていた。)

 

順子だけに慈しみを与えるのではなく、

自分と順子を同一で一つなので、自分を含めたハグ。

地球全体の神の子、宇宙全体の神の子、と自分も含めたハグ。

 

自分は別に与えなくていいよ、あなただけに、ではない。

自分も!

 

4:06:06〜

彼女たちが自分を除外して、みんなにだけ愛を与えようとしていないように見える。

自分のこともないがしろにしていない。

私はいいの!とかやらない。

 

自分が自分に愛を与えることを許可しているので、

だから兄弟とも分かち合える。

 

私はいいです!あなただけに、あなただけに。

自分を除外しているから、本当の延長は起こらない。

 

どこか自分は自分のことを嫌いながら、兄弟には100%の愛を延長するって不可能。

自分なんだから。その相手は。

 

まず自分が自分に愛を許可するということを、しなければならない。

 

そうやらないと話にならない。

踏ん張れるうちは自分に手厳しく実践できるが、本当に無理だな、と思う。

自分が自分に慈しんであげないと。

愛と助けを求める泣き叫びの心の状態なんだ。

ものすごく助けを必要としているんだ。

助けが必要な自分に助けや慈しみを与えないで、ここから先一歩も歩めない、と本当にのり子さんは挫折した。

 

順子も今から、ああ、、そうか。

自分が自分に慈しみを与えてあげないと無理か。

すごい闇を超越していく訳だから。

励ましてあげないと無理か。

 

4:09:46〜

どこかの誰かが与えてくれるまで待つ必要がない。

 

どこかの誰かという私が与えてくるシナリオが現れるまで、待つ必要がない。

今、この瞬間、自分が自分といるのだから。

 

今、できる。

 

順子が順子っていう私を認識しているということは、今、与えられる。

 

 

神も聖霊も言っている。

「よくやってるね。」って言っている。

 

「よくやってるね。」

 

言っているんだよ。

ああ、目を覚まそうとしているの。よくやってるね。

そうなんですよ。あなたは悪夢を見ているんですよ。

その悪夢から是非とも目覚めて欲しいと思っているんですよ。

どうか私の言うことを聞いて欲しい。

 

そうなんですよ!

私はあなたに愛を与えたいだけなんですよ。

どうかその愛を受け取って欲しい。慈しんでほしい。

喜んでいて欲しい。平安で幸せでいて欲しい。

是非ともお願いしますよ。

聖霊や神が懇願している。イエスが懇願している。

どうか私の心と繋がり、神が与えてくださっている、その愛を受け取って欲しい。

頼み込んでる。

お願いだから、あなたに与えられているこの喜び、愛をどうにか受け取ってくれませんか?

 

エスも困った。Davidが断り続けるから。

神の摂理が、こっちからこっちから与えられようとしてるのに、Davidが断ってしまう。

エスも困った。

 

お願いだから受け取ってくれない?

あなたは無価値感に触れるかもしれませんけど、

無価値感を私に提供してくれれば私が取り消すから、いいから受け取ってくれない?

 

ここがすーーーごい順子にとっても、私たちにとっても、大切。

特に順子との会話で出てきたから、自分によく教えてあげて。

 

(何度も聞いていたのに、初めて聞いた気がした。)

 

与える気がない。

自分が自分に愛を与える気がなかった。

 

こいつ(順子)には、与えない。与えないぞ!!

 

自分が自分に愛を与えないってものすごい緊張感。

その中で赦しを実践して、神の子としてみる。

なかなか困難。自分で難しくしてしまう。

 

そもそも神は何を望んでいるか?

 

神は、神の子を愛し、自分と同じ姿として神の子を創造した。

神は神の子が夢見ている幻影だとしても、

 

この順子という断片の幸せや喜びを望んでない訳がない。

慈しまれている感覚を感じるのを、望んでない訳がない。

そもそも神は愛なんだから。

愛、喜び、平安、自由なのだから、それを延長することを望んでいるんだから。

 

よく自分に教える。ブログに載せる。

 

すっごい重要!!

 

頼むからここらへんで腑に落として欲しい。

 

4:15:07〜

神の意志と自分の意志が一致することが、神を一番にすること。

神を一番にするということは、神の意志以外の意志を持たない。

神の意志は、神の子の幸せ、神の子が愛を受け取ること。

神が与えている愛を、神の子が拒絶しないで、

神が与えているものをそのまま受け継ぐことを望んでいる。それが神のご意志。

 

なのに、

なんで順子がそのご意志を継いで自分に愛を延長しようとしないの?

 

神の意志に背いている。

神を一番になんかしてない。

 

神の意志に忠実に、自分もそれを受け継ぐということでしょ?

ということは、神の子である私が、神の子である私に対して愛を与える。

慈しみを与える。優しくする。

 

神は順子に手厳しい世界で、手厳しい人生を歩んで欲しいなんて、全く思っていない。

思っていたら救いはない。

 

神は愛を感じるということだけを望んでいる。私たちに。

なぜなら愛以外何もないから。

 

幻想の中で沈むことを神は望んでいない。意志していない。

神を一番にするというのは、

神が愛を受け取って欲しい、愛を与えたい、そのまま受け継ぐこと。

 

本当にお願いします。

2018年10月のカースティンリトリートあたりからずっと言ってると思う。聖霊は。

 

4:17:43〜

「受け取ってください!!」(と順子の口が勝手に動く。)笑

 

拒絶しないこと。

私たちにはリハビリが必要。

まだまだ深いレベルで、自分は罪深い、自分は醜い、自分はどうにもならないダメな存在だと信じているので、

信じているものがこれから取り消されていくけども、リハビリが必要。

 

この肉体レベルと思っている私が、私自身に慈しむ、Rest in Godさせてあげる。

積極的に優しくある。

自分が自分を励ます。認める。

リハビリ。

リハビリもすごく必要。

 

神のご意志を、最終的に自分の意志として受け継ぐ。

そこに完全に一致するまでに、リハビリが必要。

リハビリの一巻として一致し始めるということが必要。

 

自分が一番慈しむ。

どうやって慈しむのか、難しいって思うかもしれないけど、

慈しむ。

「ああ、よくやってるよ。」

頑張ってるね。

 

エスも、聖霊も、神も、

間違いなく「よくやってるね」っていうはず。

 

お前もっと頑張れ!って言わないよ。

 

お前もっとやれ!は、神の意志の真反対。

 

神は肯定しかできない。

肯定。

 

あなたは素晴らしい。

あなたは私の我が子です。

あなたは愛です。

 

4:20:40〜

それが一番重要。

ぶっちゃけ本当にここから歩めないよ。

自分が自分に慈しみを与えて、自分が自分に優しく、自分が自分を励ましながら、
認めながら生きないと絶対に歩めないよ。

 

どうにか自分に厳しくしながら、自分を認めない中で、この道、最終的に歩めますかね?ってDaivd コミュニティーの誰かに質問してごらん?

 

あり得ないって言うよ。

 

闇がいっぱい出てくるからだし、

神の意志に背きながら神の意志に一致するなんて、

できる訳がないじゃん。

 

どうにかなりませんかね?って質問したら、

あなた日本でやったリトリートに参加したんですか?って質問されるかもしれないよ(笑)

 

(そんなに大切なことだと思ってなかったな。。)

 

順子という断片だけでなく、みんなそう。

 

だから、リハビリするんだよ。

今、この瞬間、自分が自分に呼吸をさせてあげることを、もう一回思い出す。

自分に優しく。

Rest in God。

慈しむ。

慈悲を与える。

 

リハビリが必要。

そうやって、神のご意志にチューニングし始める。

 

それが2018年10月のカースティンリトリートに関連している。

カースティンは「あなたのためのリトリートだ」と言った。

順子という断片に対して。

一なる子全体の断片の順子が、あーだのこーだの言っていって、その順子に対して問いかける必要があった。

順子だけ特別に言っている訳じゃないけど、順子という断片に語りかけた。

「あなたのリトリートなんだ」と。

 

私が私に、私のためにこのリトリートがあるんだっていうことを受け入れさせることは、罪深いというように。

(あの時そう感じていた。)

 

でも、

 

100人いれば100人一人一人が、

「ああ、これは私のために現れてくださったリトリートなんだ。」

自分が自分に、そう、言うんだよ。

(胸の前で手をクロスして、自分で自分をハグする。抱きしめる。)

 

本当にここまで来てくれてありがとうって、

自分が自分に、言うんだよ。

 

エスが言っていること。

 

エスが私たちに言っていることを、

「イエスは私に言うでしょうけど、私は私に言わないね!」と背かない。歯向かわない。

 

エスが意志してくださっていることを、

私たちも彼と同じように意志するんだよ。

 

(私が私に、ありがとうねって言うんですか?)(そうです。)

 

エスも元人間だったから、

元人間にアイデンティティーを置いていたので、この道がどのぐらい険しいか、

同一化してきた心にとって、どのくらい険しいかよく知っている。

私たちと同じようなことをイエスは加速度的に経験したかも知れないけど、

同じものを経験したり、通り過ぎた。

だからどのぐらい意欲が必要なことか、知っている。

 

激励するに決まってるじゃん!

 

私はまだまだ甘い、というのがいっぱい上がってくる。)

その時、いちいち見破る必要がある。

それは自我。

 

(確かに、神に向かっていこうとしているのに、神がけなすはずが訳ないな。。)

 

自我の声。

謙虚そうに見えるけど、それは傲慢。

 

神の意志ではないものを、自分の意志として自分に教えようとするのは、一見謙虚そうに見える。

非常に傲慢。

 

よくここまで来てくれました。

 

 

どの時期にどういう闇に直面して、どうやって超えていくかというのは、

私たちの仕事ではない。

カリキュラムは聖霊がプラン立てているので、

自我の幻想を使いながら、それをいかに形成逆転させて、

神の救済計画として私たちをどういうふうに導いていくか。

カリキュラムを立てるのは聖霊の仕事。

 

私たちは聖霊の働きに背かないこと。

これに従おうとしている自分を認めること。慈しむこと。励ますこと。

愛を受け取ること。

愛を与えること。

Rest in Godさせてあげること。

 

私たちが前進しているか後退しているか、判断能力がない。

判断しようとするのも傲慢。

私はまだまだだ、とか。

これくらい進んでいるんじゃないか、とか。

それを判断する役割は聖霊

それも無駄。

 

極力、神や聖霊の邪魔をしない。

一瞬一瞬立ち止まって、辞める。

 

愛を隠している。

愛を隠すことをやめる。

 

もっともっと喜んで欲しいと思っている。聖霊は。

その程度の喜びじゃ足りなすぎる。

もっともっと莫大な喜び。

そんなもんじゃない。

あなたの本性は。本当の姿は。

そんな程度の喜びじゃない。

 

何万倍の喜びを与えたい!

受け取って欲しいと思っている。

 

2021年6月13日までかかったけど、本格的に受け入れる。

 

2021年6月13日に受け入れるか、2030年に受け入れるか。

 

本気で受け入れることを望んでいるはず。

ずっと言っているから、聖霊は。

 

謙虚そうに見える傲慢さをやめてくれって。

 

 

愛を拒まないで。

愛を隠さないで。

 

 

www.youtube.com

 

真我なるハートのり子さんのブログ: ✨自分に優しく Be Gentle✨

blog.goo.ne.jp

 

上ブログより、のり子さんからみんなへの励まし💖

 

この道を歩むみんな
とことん自分に優しくあろう。

 

 

のり子さん、ありがとうございます。

カースティン、フランシス、ありがとうございます。

神様ありがとうございます。

 

 

私、何度も自分に優しくあること、慈しむことを思い出そうとしているね。

よくやってるね。

私、ここまできてくれてありがとう。

ありがとう💕

 

 

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私も、

私が私を迎え入れ、抱きしめ、慈しんでいこう🙏


このブログを書くきっかけを与えてくれたのは、直子さんだった。

直子さんのお陰さまです。
直ちゃん💖本当にありがとうございます🙏



父・母・娘ごっこに同一化する気は一切ございません。

例外はもう作りたくない。

母だけではなく、父とも真剣勝負だ。

 

父がふと

「どうにもならないな」というようなことを言った。

 

人間はもう神に頼らないとどうにもならない。と五井先生の話を話した。

 

「他力本願だね。」

父から言われて驚いた。

 

すごいな、、

まさか父から全託と同じような言葉を聞くとは。

 

それがきっかけだったか、

五井先生が教えてくれている話を、父に話し始めた。

 

守護霊、守護神様は誰にでもいらっしゃる。

その守護霊、守護神様は、完全に菩薩行で、

こちらが気づこうが気づくまいが、ずっと助けてくれている。

だから、こちらから神様ありがとうございます。という思いを傾けるんだよ。

そうすると守護霊様が働きやすくなるんだよ。

私たちは助けてもらってる神様に感謝するんだよ。

いつでもお祈りだよ。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように。

私たちの天命が全うされますように。

守護霊様ありがとうございます。

守護神様ありがとうございます。

 

そうやって祈ろう。

五井先生に助けを求めよう。

 

守護霊様に嫌な思いを消していただく話とか、つらつらと話した。

 

今までも話したことはあった。

それと今回が違うところは、

 

”父は、私なんだ。

私とあなたは一つで、愛で神の子なんだ。

それを一緒に思い出したい!

思い出す仲間として話そう。

 

それで興味を持つかどうかは、手放そう。

そういう期待は神にお返ししよう。”

 

そう思っていたことだった。

 

父は黙っていたけど、耳を傾けているようだった。

 

父は、いわゆる心の世界のことや

祈りについて、抵抗が強く興味なんかないだろう、と思っていた。

 

だから、つらつら話し続ける自分も意外だった。

 

最後は、

「わたしと一緒に祈ろう!守護霊、守護神様もそうおすすめしている感じがするよ。」

と父に言った。


マイティーコンパニオン、祈る仲間が増えると、加速するんだな。

お互いがお互いを助ける、という感覚。

ありがたい。


五井先生のお顔の写真盾を、父にあげた。

 

「神様にまかせきる」という五井先生の本も。

 

五井先生の講和のyoutubeも教えてあげた。

 

父自身が、

「他力本願だね。」

そう言ってきた通りに、

”素直に守護霊・守護神にまかせなさい”という動画。

 

喜んで受け取り、

「講義ありがとう」

と言ってきた。

 

素直に嬉しかった。

 

ああ、そうか。

父にも、素直に正直にこの思いを打ち明けていって、いいんだ!

 

そうしたい。

 

透明でありたい。

父や母に見える、私なのだから。

 

「聞いてくれて、ありがとう」

父に言った。

 

自分の部屋に、

「あそこに飾ったよ。」と早速、五井先生の写真たてを飾っていた。

 

最後に、

「修行だね。」と笑っていた。

 

私が父という自分自身のことをどう見ているか、

信じているか、そのままなんだな。

 

「わたしとあなたが誰なのか思い出す仲間として、迎え入れたい。」

祈りたい。

そう父にも話しているように。

自分が望むように。

 

それしか見れない。

本当にそうだ。

 

父が、お金のやり取りをうまくやらないのは、お前のせいだ!と責め続ける!

と母が激しく怒っていた。

 

母はイエスが好きらしいが、気になるとは言わない。

昔から、教会の話や、イエスの映画はたくさんみた!と自慢する。

 

母にイエスはどうなの?と聞いてみた。

冷蔵庫に小さいイエスの顔のマグネットを貼っている。

 

「それに向かってブツブツ言ってるよ。」

 

そうだったのか。

 

「そのイエスに、あなたが気になりますって告白してみたら?」と、

今度は母にイエスや、心の中でイエス祈ろう、とか

エスの話を始めた。

 

「イエスは、母ちゃんのこと嫌ってないよ。」

そう口から出た。

 

お金がきっかけで、

さっき父と言い争いになっていた。

その父への憎しみ、怒り、復讐したい、傷つけられた、悔しい思いを話し始めた。

 

自分でやってきた、おままごと劇場。

 

かわいそうな母。

悪者の父。

なんとかしなければならない娘。

 

パペット。

全員、わたしの手。

 

何千回とやってきた茶番。

 

もうーーー!!

こんな茶番に、同一化する気、ございません

 

聖霊に祈りながら、聞いていたが、

でも祈るしかないよ。と言って、またイエスや五井先生の話をした。

 

そうか。

父と母は、

目覚めたいとか、神を求めたいと思わない人、というふうに除外する必要なんて、

なかったんだ。

 

それをしてたのは私だ。。

 

だから、

自分に慈しみを与える、自分に優しくしよう、

神はそのように夢見るものも、愛してくださっているのだから、と

母にも言っていいんだ!

 

だって、一緒に神の愛を受け取りたいよ。

わたしと母は一つで、私だから。

 

神は愛で、愛を受け取って欲しいって、イエスは母ちゃんに思っているよ。

一緒に受け取っていこうね。

そう話した。

 

自分が自分をどうみているか、鏡だ。

 

愛と慈しみを自分自身に与えよう、

自分にも与えていこう。

神になさっていただくままに。

 

そう決断すると、父や母にも慈しみたくなるんだな。。

 

私が私に、優しくあって欲しいんだ。

慈しんで欲しいんだな。。

 

わたしを慈しんでいこう。

よくやってるね。

ありがとうございます。

 

 

今日は、

「私はあなたの子供じゃないんだ。

私とあなたは一つで、神の子だと思い出したい。一緒に思い出したい。祈りたい。」

それを両親に話している時、つながりと広がり、愛を感じていた。

 

 

 

あなたは全部お見通し?

父が、風呂から上がってきた。

次が私の番なので、父が声をかけてきた。

 

 

「次どうぞ。

 

神の子。」

 

 

( ゚д゚)!!!(笑)

 

 

 

「私はあなたの娘じゃないよ。

エスに、

あなたと私は神の子で、一つで、愛だと教えてもらいたいと祈っているよ。」

 

そう母だけでなく、父にも話している。

 

 

。。。。。

 

 

やばいな。。

 

 

本当は、

自分が神の子だと知ってるよ、この人。

お見通しだよ。

 

 

「順子の言っていることは、お父さん、坊さんみたいで分かんないんだよなー。」

 

知らないよ〜、お父さん、そんなのぜーんぜん!っていう

嘘くさい白々しい芝居されてる気がしてきた。。

 

この人、

すっとぼけてんじゃないのか?

 

本当は、あなた全部知ってるんでしょ??

自分が誰なのか。私たちが誰なのか。

 

自分が誰なのか、全然分かってないのは私の方だった。。?

 

俺!?

父や母じゃなくて、、

もしや俺一人だけなのか?分かってないのは?

 

 

そういう予感がしている。。

 

いや、予感じゃないな。

 

 

 

「おやすみ!神の子。」

 

父と思ってきた人に、そう言った。

 

 

二人で笑った。

 

ははは。

 

 

よくやってるね、私。

ありがとう。

妥協しないで、

ブレないで、

除外しないでくれてありがとう。

彼が誰なのか、聖霊に教えてもらいたい意欲を差し出してくれて、

ありがとう。

 

聖霊、ありがとうございます。

五井先生、ありがとうございます。

 

 

 

何にキモいと思っていたのか?

2022 1/2勉強会より

 

リトリートで兄弟のことを「キモい!キモい!」と言っていたら、聞かれた。

 

「なぜだと思う?」

 

何でだろう。。

私は何にキモいと思ってるのだろう?

 

 

「私は何にキモいと思っているのですか?」

 

 

神の子は一人。

私とあなた、というように神の子は分裂していない。

完全なOneness。

その神の一人子に、自分が創造主として、完全なものを作ったらどうだろう?と願望が湧いた。

完全な神との一体から離れて、自分と自分じゃない者というのを作ってみたいと思って、作れたとする。

 

本当は完全に一つしかない。

 

無理矢理、私と私じゃない何者か、

「お前と私は違う」という分離を維持するためには、100人いるとしたら、相手と自分の立場がどういう関係だと維持できるか?

 

憎らしいあいつら。

利用できるあいつら。

うまく操作して何かを盗み取れるあいつら。

 

いつ何時、私の企みに気づいて敵対してくるか、分からない。

利用できる時は利用するけどな。

でもいつ何時、やり返しがくるか分からないから、バレないよう盗んでおく。

 

この世のレベルは愛じゃない。

憎しみ。憎悪だ。

 

私とあなたは違います、という分離を維持するためには、

あなたは私と違って、

ダメな存在、邪悪な存在、惨めな存在、足りない存在、かわいそうな存在。

憎むという仕掛けが、分離を維持するには必要不可欠。

 

分離がなかったという自覚が復活しないように、頑張らなければならない。

分離がなかった、というのを自分自身にバラさないために。

 

とにかく支離滅裂でもいいから、理由は何でもいいから、憎む。

 

自分ではない何かを、何でもいいから憎むことにする。

 

だから、理由なんて何でもいい。

理由なんて、ない。

 

 

”お前は、憎らしいから、憎いんだよ!”

 

 

「その相手って、誰?」

 

 

。。。。

 

 

私!

 

即答。

 

 

「それがムカつくんだよ。」

 

 

。。。。

 

もーーわかってんだよ!

そんなの知ってるわ!

私ですわーーー!分かってるわー!!

 

とっくに分かりきってました。はい。

 

 

あーあ、バレたか!と諦めて大笑いした。。

 

憎い理由なんて、最初っからございません。

”あんただから”憎いんだよー!と

理由なんてなくて、とにかく憎いことにする!と決めていただけだ。

 

自分ですっとぼけてただけですよ。

ええ、知ってましたけどね。。

 

あーあ。。。

 

 

のことをキモいと思っていた。

キモいと思っていた相手は、私です。

 

 

自分が自分に隠してただけ!

誰も何もしてなかった。

誰も何も隠してなかった!

 

笑えてくる!。。

 

。。。。

 

自分しか見れない。

 

分離の境界線を

「ああ、それはあなたではなかった」

分離の壁を取り外されて、決壊が起こる。

 

溶け込みあって一つになるのは、一番やりたくない。

 

そうなりそうになると、敵を作り出し、敵対しておくという仕組みが起こる。

 

相手は誰でもいい。

 

。。。。

 

あーあ。。

バレたか。。

 

そう感じて、何かが崩壊して、

だる〜んとなり、、恍惚としてははは、と諦めたように笑ってしまった。

 

あーあ、くっそー

一生懸命、キモい!キモい!と言って、

壁を作ってきたのになー

 

 

負けた。。

 

 

でも、安堵していた。

 

苦笑いしながら、

もう、これでいいや。。

ホッとした。

 

やめよう。

 

無駄だった。

神に勝とう、

愛なんて入りません!と愛に勝とうしても、無駄だったな。。

 

あなたに勝てませんでした。

愛に勝てませんでした。

 

あなたは愛です。

悔しい、、

負けです。

 

でも、負けでいいです。。

 

なぜなら、今、

確かに愛されていて、穏やかで幸せだからです。

 

。。。。

人間関係を赦しているように見える。

でもこれは人間関係を赦しているのではない。

 

「あなたについてのあなたの認識を赦している」

 

わたしを誰として見るか?

 

敵を作り出し、敵を維持するというのは、

自分を見殺しにし続けるということになる。

 

人間関係から、自分のことしか見れない。

 

自分をどのように見ているか?

日常を通して見ることができる。

 

愛ではない何かを外に見るということは、

自分に愛ではありませんと教え続けるトリック。

 

わたしはダメな奴だ。

私は神の愛ではない、と私に言い続けている。

 

これは人間関係を赦しているのではない。

自分をどう見るか?ということなんだな。

 

。。。。

0:57:00〜

勝つことに価値がない。

プライドを維持することに価値がないということが見えてくると、

 

負けでいい。

ちゃんとしなくていい。

 

冷静な大丈夫な私でいなくていい。

 

決壊してもいい。

 

。。。。。

 

ああ、、、

決壊してもいいんだ。。。

 

本当だ。

 

なぜなら、

そうして今、確かに幸せを感じている。

幸せだから。

 

そうやって

消えていく姿である私

あなたとは違う者である私を

消していただけることが、幸せです。

 

ありがたい。。

ありがとうございます。

 

 

わたしだったんだね。

わたししか見れないんだね。

 

あなたもわたしだったんだね。

 

あなたと私、という分離は、もういいです。

 

ああ、もうこうやって、自分に愛を与えてあげたい。。

 

 

私、よくやってるね。。

 

もういいんだよ。

わたしが決壊することを、もう自分に赦そうよ。

 

わたしにそう言ってあげようとしているね。

わたしがわたしに平安でいることを赦そうよ。

そう言ってあげているね。

 

こうやって、

それを思い出そうとしてくれているんだね。

わたしに平安と愛を与えようとしてくれているんだね。

 

わたしが何であるか、思い出そうとしてくれているだね。。

 

ありがとう!

 

よくやってるね。。

わたし、ありがとう。

 

胸の前で手をクロスして、

私を、抱きしめよう。

 

今日もありがとう💕

 

 

 

自分メモ:ラファエルインタビューから始まった忘れたくないこと

自分メモ:

間違っているかもしれないけど、気づいたことや思い出したこと。

教えてもらったこと。

 

自分のために。

 

。。。。

リトリートの三崎口で、

2回ほどのり子さんの口からインタビューの時のことがでた。

 

2018年10月31日に、この三崎口でラファエルのインタビューを受けた時に感じた

無価値感、罪悪感、恐怖、恥、惨めさ。

 

恐ろしくとんでもない恐怖で、

 

コースなんて絶対やらない!

これを隠すためなら、何度でも死ぬ!

すべてのすべてはこれを隠すため。

 

神に対してこんなとんでもない恐れや恥、無価値感を感じていたなんて、

そんなの聞いてない!

知らなかった!知りたくもなかった!

 

11月にも、強度は全然劣るが、同じ無価値感や情けなさ、悲しさなどが溢れた。

 

 

今後も何度も、湧き上がり続ける。死ぬまで。

ロングライフジャーニー。

これの繰り返しだ。

真に癒されることを望むから。

 

今までもそうだったし、今もそうだけど、

また犠牲者になろうとするだろう。

 

人のせいにしよう、

犠牲者になろうとする誘惑、

目的を忘れ去ろうとする誘惑が、何度も何度も起こるに違いない。

 

だから、

こういうことなのだと

自分自身のために、自分に教えるために振り返る。

 

。。。。

この恐怖、無価値感、罪悪感、恥や惨めさを隠しておきたかった、触れたくなかった。

何万回転生しようが、関係ないくらいの。

聖霊のガイダンスに従うのは、自分が隠しおおせているこれを自覚し、触れて、光に捧げるため。

そうして癒されるため。

 

ラファエルがカメラを向けていた、誰に言われた、お金について、はただのトリガー。

誰か、とか、何か、というトリガーのせいにし続けるのは時間の無駄。

 

大きな恐れ、無価値感、罪悪感などが湧きあがると、感じていることを死ぬ気で避けよう、隠そうとするので、

同じ目的を持った兄弟と関わりたくない、

避けた方がいい。

危険は遠ざけた方が良い。そうに違いない。

私は正しい。

そう決めつけて、納得しようとする。

一人になろうとする。

 

これを疑う。

兄弟のせいだ、兄弟が悪い、兄弟を避ける方が安全だ、と言う声を疑う。

 

その逆、

こう感じているということを、

聖霊に尋ねて、同じ目的を持った兄弟に、素直に正直に打ち明ける。

助けを求める。

 

あのインタビューでインタビュー自体を止めたことは失敗ではない。

私が本当の本当に感じていた、

この、死んでも言いたくない孤独、恐れ、無価値感、罪悪感、恥。

「今、私は無価値感や恥、罪悪感を感じています」と正直に打ち明けなかったこと。

そしてそれをしなかったのは、

消えたくない。

神に勝っていたい。本当の本当には絶対負けたくない。というプライド。

だから、転生初と思うぐらいの無価値感を感じていたのに、

インタビューでうまく答えよう、という仮面を演じ続けようとした。

崩れ去ったけど、それでも、打ち明けようとしなかった。

 

ああ、隠したい、触れたくない、死んでも認めたくないと思っている。

ズタボロなのを晒したくないと思ってる。

だからこそ、真に癒されるために、それを確かに感じている、と打ち明けていく。

晒していく。

 

平安へのツールを兄弟と一緒にやるよう導かれた。

やりたくないが、導かれた時は兄弟に助けてもらってやる。

抵抗は大きい。

真の原因に到達するチャンス。

目的を思い出す。

 

とにかく隠すために宇宙全部を利用しているぐらいに、見たくない。

自我が正しいと思っていることの反対なので、抵抗が半端なく大きい。

 

なので大きな無価値感、恐れ、が大噴出した時、慌てるのでは遅い。

今日、この日限りの命。

その覚悟で、日々の祈りと聖霊に捧げることが大切。

 

目的を思い出す。

とにかく何を望むのか?

願望と目的。

 

瞬間、瞬間。

 

私自身が何を望み、生きるのか。

それだけを自分自身に明確にする。ブレない。

 

ブレない。

 

全ては何のためなのか、

聖霊になさしめていただく。

 

ラファエルインタビューの時、とんでもない罪悪感と無価値感、という知覚で、

何かとんでもない自体になってる、、と

”私だけ”に起こった特別な事態だと思わずにはいられなかったが、

 

のり子さんが客観的にみてくれていて、

 

「ああ、私の愛と助けを求める懇請が浮上した。

ただ、それだけ。」

 

まったく深刻ではなく、軽く、さらっと

そう言ってくれた。

 

特別ではない。

いつもずっと感じている。

 

この罪悪感や無価値感は、私の愛と助けを求める懇請だ。

消えていく姿だ。

 

消していただくために、癒されるために、

聖霊に浮かび上がらせてもらえたんだ。

 

浮かび上がらせてもらったのだから、

聖霊に消していただけるんだな。

 

勝ちたい私。

消えていく姿。

 

こうやって癒されていくのだな。

 

もう聖霊が消していただいているのを、受け入れることができるんだな。

 

ああ、ありがたいな。

聖霊、守護霊様、守護神様、五井先生、ありがとうございます。

 

本当の本当には負けたくなかった。

勝ちたい。神に。

そう思ってました。

と認める。

 

聖霊に開いて、捧げる。

 

もうこれ以上、分離を望まない。

私とあなたが一つで神の子だと、思い出したい!

 

もう分離を、あなたという私に教えたくないから。

 

だから、それごと、

無価値感を感じている私そのままを、私に迎え入れよう。

すべてのすべて、丸ごと迎え入れよう。

 

もういいです。

それを持ったまま、汚れたままでいいから、五井先生の中に飛び込もう。

 

神様、ありがとうございます。

聖霊、ありがとうございます、と。

 

。。。。。

こんなとんでもないことやろうとしている私を、

認めてあげよう。

 

だから、奇跡を感じた時は、素直に受け取っていこう。

受け取っていいんだ。

 

できた、できない、と判断しようとしたら、

聖霊に捧げよう。

 

あの人よりできてないとか、進んでるというのもくだらないプライド。

プライドまみれのまま、聖霊に委ねよう。

 

私に優しくしてあげよう。

 

私は私を見捨てないであげよう。

 

よくやってるね。

 

ありがとう。

 

ありがとう。

 

 

心のままに、なさしめたまえ。

 

ありがとうございます。

 

 

振り返っておきたくなったので、メモ。

 

 

よくやってるね。ありがとう。

罪悪感と惨めさが湧き、

履歴書を書くときはいつも辛い。

 

でも今回は、

惨めさや不安、情けなさもあったが、

力強い想いも湧いてきた。

 

泣きながら湧き上がってくる。そのまま履歴書を書く。

 

「私とあなたが一つの神の子であると、知りたいんだ!

そのためなんだ!」

 

そうだ!

 

そのためにしか、やらない!

 

不安や恐れが湧き、

聖霊のガイダンス通りなのか、まったくわからない。

 

面接で思いもよらないことを聞かれる。

 

「もし、過去働いてきた◯◯や××の上司が評価するなら、

あなたがその上司だったら、あなたをどう見ると思いますか?」

 

。。。

 

返答に困る。

 

怖い。

自分でどう評価されるなんて、ダメ出ししたい。

 

 

ごちゃごちゃと、こう言われたし、ああ言われたから、と周りくどく話した後、

 

「よくやってくれました。」と言うと思います。

とはっきりと、口から出た。

 

びっくりした。

 

気のせいか、小さく、「うん」とうなづかれた。

 

 

別で、

こちらはどうでしょうか?と

避けたい、、と思っていた部署のことを聞かれた。

 

自分には無理、嫌だな、と決め込んでいた。

 

誤魔化そうと言い訳したが、耐えきれず、

すみません!避けようとしてました、と腹を割った。

 

「苦手意識がありました。

差を見てましたが、もしチャンスがあるなら、飛び込んでチャレンジしたいです!」

 

と腹の底から、言っていた。

 

自分で言った感じがしなかった。

 

私は優柔不断か、逃げ腰じゃなかったか?

 

でもいい!

それでもいい!

 

私とあなたが一つで神の子だった、と思い出したい。

それだけを、私は望むから。

 

そうはっきり言った後、

それを聞いてくれた方と、一つになった感じがして、

愛されている、広がりと幸せを感じていた。

 

嬉しかった。

 

 

聖霊に、なさしめていただいたんだ。

 

ありがとうございます。

 

 

自分で自分をどう見てきたのか、

それに対して聖霊はどう見ているのか、、

 

聖霊になさしめていただいて、

教えていただきました。

 

だから、

聖霊が私のことを、

すごいね!、でも、全然だめだな、、でもなく、

 

「よくやってるね。ありがとう。」

 

私をそう見てくれていたし、今も見てくれているように、、、

 

 

私も私自身に、

 

「よくやってるね。ありがとう。」

 

そう見ていって、声をかけていこう。

 

 

ああ、ありがたい。。

 

ありがとうございます。