私は知覚に問題があります

なので感じていることを、どうか聖霊あなたに打ち明けさせてください。

あの時感じていたこと Kirsten Retreat in Japan

あの時に感じていたこと

 

本当に、愛を受け取ってしまうことを避けていたかった。

与えてくれたものの大きさが分からないようにしておきたかった。

 

 

 

リトリートが終わり、カースティンさんは数人と話をして、帰るところだった。

どうしても話したくて、兄弟が話し終わるのを待ち、次に話しかけた。

 

「愛を感じられなくても、そんな自分に優しくしても本当にいいのですか?」

カースティンさんにイエスと言ってもらった。

 

たくさん声をかけてもらったのに、わたしはなぜ言葉が記憶に残らないのだろう?

 

途中、涙があふれてとまらなかった。

 

泣きながら、本当なの?ねえ、本当に、本当なの!?という気持ちで、カースティンさんにすがっていた。

 

実際、何度も聞いた。

 

ちょっと質問して、答えていただけたらいいな、、という程度の気持ちだった。

 

そこからカースティンさんから愛を受け取り続けることになった。

 

後になってクリントさんの記事を読んで、わたしはカースティンさんにすがりついていたのだと分かった。

 

自分の欲望からしがみついたと自覚したのは、後になってからだった。

情けないと自我は言った。

 

通訳の方までお願いし、皆を巻き込み必死でカースティンさんに訴えていた。

 

その時の写真を兄弟から、見せてもらったとき、恥ばかり感じていた。

 

 

カースティンさんは手を取ったり、長く長く優しくハグをしてくれた。

 

わたしは忘れていたけれど、

クリントさんの記事で10分以上だったみたいだ。

 

私はその間、ずっと泣いていた。

 

カースティンさんは手をとって

抱きしめてくれていた。

 

そして、語りかけてくれた。

 

 

覚えていることは、

 

「あなたを愛しています。」

 

「あなたのために日本に来ました。」

 

「覚醒は簡単ではありません。あなたは明日も、明後日もその次もずっと泣き続けるかもしれません」

 

「あなたはもっと兄弟を信頼しないといけませんね」

 

「みてごらん。みんなあなたのことを愛していますよ。」

 

部屋にいるみんながいつの間にかシーンと静まり、私とカースティンさんの方を見ている。

 

罪悪感が沸きあがり始める。

 

カースティンさんだけに愛を見て、カースティンさんからだけ、愛を受け取ろうとしていたことに気づいた。

 

みんなの視線を感じた時、それに気づき、それを猛烈な恥だと思い始めた。

 

自我が言うには、

カースティンさんとみんな話したかっただろうのに、時間を独占してしまった。

 

なんとばかなことをしたのだろう。

 

神のホストじゃないのか、わたしは。

 

みなさんをお迎えするリトリートのスタッフという立場なのに、

 

それを完全に忘れて、自分が愛されたい!と泣きつくなんて、、一番やってはいけない、おかしなことをしてしまった。

 

「時間をたくさんとってしまった。申し訳ない」と言ったら、

 

カースティンさんは

No, no, noと首を振り、そんなばかげたことを言わないで。

あなたが癒される時、みんなが癒されると言ってくれた。

 

わたしはそんなにも、そんなにも、愛されていいのだろうか?。。

 

 

あなたのために日本に来ましたとイエスそのもののカースティンさんに言われ、

 

神が用意なさったリトリートを

あなたのためのリトリートですと言われ、、

 

そんなにも愛されていいのか??本当に。。。

 

何度も疑い、聞くわたしに、カースティンさんはyesと答えてくださったり、

笑顔だったり、長くハグしてくれたりして、応えてくださった。

 

わたしは忘れてしまっていたけれど、クリントさんのフェイスブックから、「誰かわたしの代わりに抱きしめたい人はいますか?」と呼びかけてくれた。

 

そうしたら、みんなが手をあげて、カースティンさんとわたしがハグしてくれているところに、みんながハグしてくれました。

 

その時の写真を後になって見せてもらったのだけど、

 

一番最初にあがった思考は、

わたしの姿が写っていない、だった。

 

そこに、わたしがいたのよ!わたしが、愛されたのよと自我は言うけど、

 

一つなんだよ、と教えてくれたんだ。

 

「わたし」個人的なものにしようとする願望は

付け入るすきなどなかった。

 

わたしが、分かるように教えてくださいといつも祈っているように。

 

わたし、がいたことなど忘れてしまいなさい。

 

 

兄弟をみなさい。

 

わたしだけ見たかった。

 

兄弟を避けたかった。

 

兄弟をみなさい。

 

 

猛烈嫌なのがわかる。

 

後になって、ある兄弟から、私たちは一つだよ。と何度も教えてくれました。

 

受け入れたくない、と思っているのを見るために。

 

兄弟、ありがとう。

 

 

そうなんだ、これ、受け入れたくない。ものすごく。半端なく。

 

 

そして「ここを見なさい」と聖霊に言われている。

 

 

ああ本当に、わたしのためのリトリートだった。

 

 

本当にここまで、ここまでされないと、

 

ここまで愛されているということを

 

兄弟はわたしを信頼し、愛していることを

 

神様が愛していることを

 

 

このすぐ忘れるわたしが

 

肉体の目にも分かるように、教えていただくまで、

 

わたしが兄弟を信頼していない

受け入れていないだけだということを理解したくなかった。

 

このように愛を受け入れたくないという抵抗を感じつつも、

 

本当にありがたくて泣いていた。

 

 

受け入れたくない部分がありつつ、感謝で泣いていても大丈夫なんだ。

 

それでも癒しは起こっていますよ、とカースティンさんから教えていただいた。

 

自分に優しくしてあげよう。

 

 

カースティンさんが帰るとき、

大雨の中、祝福の花火がなっていた。

 

ありがとう、カースティンさん、ありがとう、兄弟、ありがとう、神様ありがとう。

 

 

愛されているということを

 

本気の本気で受け入れてしまうのを拒んでいる。

 

恐ろしい。

 

 

神様から、これでもか、これでもか、というほどに、

 

愛されていいの?という質問に答えていただいているのに、

 

兄弟は愛を教えてくれる天使、神様から教えていただいているのに、、

 

 

やっぱり本当の本当に受け入れるのは嫌なんだ。

 

 

兄弟から、受け取る。

 

兄弟を信頼する。

 

兄弟と一つ。

 

避けたかったこと。

 

 

もう

愛されていて、いいんだ。

 

抵抗を感じながらでも、いいんだ。

 

受け取っていこう。

 

 

この7日間のリトリートで教えて、与えていただいたことは

言葉や記憶では説明できないほど大きいと思う。

 

説明できないし、わたしにはそれがどれだけ大きいものなのか、分かることができません。

 

でも、そのうちの一つとして、

兄弟を信頼すること。

 

兄弟から愛を受け取ることをしてこなかった。

 

愛は

神はどこにでもいる。

 

エスはどこにでもいますね?と教えていただきました。

 

特定の人にだけ、

特定の物事にだけイエスを見ていたい、という願望をもう手放します。

 

しがみついていたくて、とてもさみしい感じがするけど、

 

嫌だと自我は言うけど、

 

兄弟にイエスを見ていきたい。

それがこれからのわたしのしたいことです。

 

エス様、

聖霊

どうか手を引いて、お導きください。

 

あなたを聞いて、従います。

 

神様、ありがとうございます。

カースティンさん、クリントさん、ラファエルさん、のり子さん、みなさん、

ありがとうございます。

 

 

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